2016年1月31日日曜日

底なしの所有欲

創作のためのメモ(たぶん『薄闇』のための)

思ってることと、言ってることと、やってることがズレている。
そのうち、自分自身が何を望んでいるのかも分からなくなる。

満たされない欲求とストレスを打ち消すために大していらないものを買う。

「あなたのまわりにあるモノは何かの役に立つというよりも、
まずあなたに奉仕するために生まれたのだ」

原始的な欲望は購買欲にすり替えられて
商品を買うことでエクスタシーを感じるようになる。

所有欲を満たすために買い続けたモノに縛られて、
いつの間にかそのモノたちに所有されるようになる。

2016年1月25日月曜日

歪んだ眼鏡

大手の安い眼鏡屋にて。

壊れた眼鏡を修理に出したのだけど、とんでもない雑な処理に衝撃を受けた。
左右のフレームの形が違う。全然違う。完全にこれはどう見ても歪んでいる。
しかも鼻あてを接着剤で留めたのか、ブリッジ部分に白い糊のようなカスがくっついている。
いくらなんでも仕事が投げやり過ぎやしないかと思ったが、
店員もあちゃーという顔をしながら差し出してきて
「すみません、無料でいいです」とのことだったので黙って受け取っておいた。
なにか文句のひとつでも言うべきだったような気もするが、
クレームを付けるのが面倒だし、何も言わなかった。

本当によくないといつも思う。
私は諦めるのが異常にはやい。諦めが良すぎる。
それはたぶん、気が小さいからでも、いい人に思われたいからでもない。
ただ面倒くさいからだ。
他人とコミュニケーションを取るのが億劫なだけなのだ。

雑に補修された眼鏡は、家の中でなら使えないこともないが、
歪んだ眼鏡をかけると凄まじく惨めな気持ちになる。

捨てるに捨てれない不格好な眼鏡は、しばらくテレビの横に居座ることになるだろう。
その眼鏡が目に入る度に、私は私に嫌気が差す。

まあいいか。
戒めとして、ちょっとの間、飾っておくことにする。

2016年1月22日金曜日

ふたつの印象的な夢のはなし。フルカラーとモノクローム。

ほとんどの夢は目覚めると忘れてしまう。
頑張っても情景がぼんやり浮かぶだけで
どんな内容かまでは覚えていない。

印象に残る夢は内容だけでなく、音や色も鮮明に思い出すことができる。

フルカラーの夢。
風呂場のタイルの水色。
風呂桶の薄桃色。
浴槽に張った湯が赤い。
私は取り乱している。
「違う違う」を連発して事態を否定しているが何も違くない。
シャワーの音が響いている。
両肘から濃い赤色が垂れて湯船にマーブル模様を作る。
「大変」と上ずった母の声。いや姉か。
両手首は変な方向に折れ曲がって白い骨が飛び出している。

小学生の頃に両手首を骨折したことがあり、
手首の骨が剥き出しになっているのを見たことがある。
たぶんそのときの記憶が混ざっている。

モノクロームの夢。
喫茶店の窓際の席。
木製のテーブルを挟んで、向かいに知り合いの女優が座っている。
外は風が強くて枯れ葉が舞っている。
女優が外を眺める。
彼女の横顔は美しいがエクステの睫毛が少し長過ぎて不自然だな、と思う。
女優はよく喋る。
手元の真っ黒いコーヒーには手を付けない。
窓からの景色を「リヨンの街並みに似てるの懐かしい」と言う。
私は「ああそう」とぶっきらぼうに答える。
彼女はリヨンの舞台で台詞を必死に覚えたのだと言って、
フランス語をペラペラ喋り出す。
意外にも滑らかな抑揚でrの発音も美しかった。
散々喋り女優は満足したのか、コーヒーカップの取っ手に指を絡めて持ち上げる。
爪はマニキュアが丁寧に塗られていて艶やかだ。
気取った仕草が鼻についたが、彼女はうっとりするほど美しかった。

この夢がフルカラーだとしたら、そのマニキュアはたぶん赤色だろうと思った。
あと、モノクロームだからこそ、彼女は美しく見えたのだろうなとも思った。


2016年1月19日火曜日

旅に出たい

四六時中、時間が足りない気がしている。
移動中が特に忙しなく感じる。
JR恵比寿駅改札からガーデンプレイス方面の出口に出るまでの動く歩道を
ひたすら毎日往復するのは結構骨が折れる。
あの歩道を朝歩く人の大半は苛々している。
追い越したりぶつかったり静かに荒れている。

そろそろまたどこかへ行きたい。

松山へは何人かとそのうち行くことになるだろうから、
そうだなあ、青森かなあ。
東北に行ってみたい。

2016年1月4日月曜日

しこりができた。

小さいしこりができた。
いつからあるのかは不明。
そんなに痛くない。
しかし異物感と不安感がすごい。

病院は嫌いだ。
症状を伝えるのが下手だし、診察を待つのが面倒だし、
赤の他人に自分の体を診られるのがしんどい。
自分の体のことは自分が一番よく分かっている。
なんだか頑固な年寄りのようなことを言うが。

休みたい。
2週間くらい何も予定がなければ元気になる。
その程度の不調だ。

2015年10月11日日曜日

薄闇、そこは散漫もしくは出口

「薄闇、そこは散漫もしくは出口」ワークインプログレス
作品ノート

***

話の起承転結を気にせず、
感覚的なことをシーンとしていかに立ち上げるか。
それが重要だったんだと思う。

「まるで見開いているかのように目を閉じて、
研ぎ澄ますかのように神経を鈍らせる。」

ときどき酔っ払って道路で寝ることがある。
寝ゲロにまみれていたこともある。
絶望はもうしない。特に恥じたりもしない。
人生はギャグだ、をモットーにしていたのは赤塚不二夫だったっけ。

「この痛みを存在意義に変換することはしない。
それよりも軽やかに、跳躍することを目指す。」

豊かな闇はただの黒色でない。
抑うつ気分はむしろ、目が眩むような極彩色が底辺に渦巻いている。
五感が腐るくらいなら、ラリっていたい。

「誰かを殺して生き急がなければ、この体は、中途半端な死体は、埋没してしまう。」

業の深さを認めるのはあまり簡単じゃない。
大して知らない誰かのことをいつも気にしている。

「うるさい、黙って。大丈夫。今度こそ、誰の声にも振り返らず、
男の精液にも塗れず、私は、」

私は、たぶん起爆剤が欲しい。

***

暗闇では自然と目を瞑る

2015年7月25日のできごと。
ひとりで長野の善光寺へ日帰りの旅。


***

稽古後に下北沢の居酒屋にて日本酒を飲み、
泥酔に近い状態で新宿駅バス乗り場へ。
24時30分発の夜行バスで長野に向かう。
朝4時頃、東部湯の丸SAで休憩。外はまだ暗い。
明け方のサービスエリアは人気がなくて殺伐としている。
こういうときは高速道路に並んだナトリウム灯に妙な暖かみを感じる。

5時頃、長野駅着。
開いている店がなくしばし途方に暮れる。
善光寺までのんびり歩くことにする。
北野文芸座の前でコーヒーを飲みながら一休みしていると、ツバメの巣を発見。
巣の中で家族がざわついている。
散歩中のおじさんがそれを眺めて「こりゃまた」と呟いた。
ベンチにしばらく座っていると鳩に懐かれてしまい戸惑う。
観光地にいる鳩は体型がふくよかで態度が横柄だ。




善光寺に到着。お戒壇巡り。
戒壇巡りとは、本堂の地下にある真っ暗闇の回廊を歩き、
御本尊がしまわれた扉の錠前を探り当てることができると
娯楽浄土が約束されるというもの。

暗闇の中を手探りで歩くと、視覚以外の感覚機能が鋭くなる。
自然と目を瞑って歩いたのは、他の感覚に集中するためだったのかもしれない。
空調の音や埃っぽい匂いが印象的だった。
その感じは色に例えると薄紫色だと思った。

史料館の開館時刻前だったが気さくな職員が案内してくれた。
職員がスリッパを差し出しながら「どっから来たの」と言い、
私は思わず「横浜です」と答えた。
出身地を訊ねたわけじゃないから「東京です」と答えるのが正しかったと思いながら
奉納絵馬をぼんやり眺めた。




水子観音像に、お婆さんが熱心に水をかけ手を合わせていたのが印象的だった。
あまりにも上手に水を引っ掛けるので惚れ惚れした。
彼女はもしかしたら毎日拝みに来ているのかもしれない。
産まれなかった子供について、死ぬまで考え続けるのかもしれない。
水しぶきがきらきらして気持ちが良かった。

「すや亀」というお味噌屋さんで、
みそ味のソフトクリームを食していたらまたもや鳩が寄ってきて困惑。
仕方なくコーンの部分をちぎって与えると次々と鳩が群がり、慌てて退散したのだった。

15時発・飯山線越後川口行の電車を待つため、
長野駅構内でアルプス白ワインを立ち呑みする。
軽井沢のハーブソーセージと、善光寺浪漫という缶ビールを購入して乗車。




森宮野原駅にて下車。
グーグルマップが反応せず迷子になりかけるも地元の人に助けてもらい、
無事、上郷クローブ座に到着。
廃校になった中学校を改築した劇場で、建物自体が味わい深く郷愁に駆られた。
越後妻有トリエンナーレ参加作品、サンプル『ヘンゼルとグレーテル』観劇。




観劇後、再び長野駅へ。
バスの発車まで、お蕎麦屋さん「油や」で
戸隠おろし蕎麦と姥捨正宗という日本酒を。
この旅は最初から最後まで、ほぼ酔っ払っていたのだった。

***