2015年10月11日日曜日

薄闇、そこは散漫もしくは出口

「薄闇、そこは散漫もしくは出口」ワークインプログレス
作品ノート

***

話の起承転結を気にせず、
感覚的なことをシーンとしていかに立ち上げるか。
それが重要だったんだと思う。

「まるで見開いているかのように目を閉じて、
研ぎ澄ますかのように神経を鈍らせる。」

ときどき酔っ払って道路で寝ることがある。
寝ゲロにまみれていたこともある。
絶望はもうしない。特に恥じたりもしない。
人生はギャグだ、をモットーにしていたのは赤塚不二夫だったっけ。

「この痛みを存在意義に変換することはしない。
それよりも軽やかに、跳躍することを目指す。」

豊かな闇はただの黒色でない。
抑うつ気分はむしろ、目が眩むような極彩色が底辺に渦巻いている。
五感が腐るくらいなら、ラリっていたい。

「誰かを殺して生き急がなければ、この体は、中途半端な死体は、埋没してしまう。」

業の深さを認めるのはあまり簡単じゃない。
大して知らない誰かのことをいつも気にしている。

「うるさい、黙って。大丈夫。今度こそ、誰の声にも振り返らず、
男の精液にも塗れず、私は、」

私は、たぶん起爆剤が欲しい。

***

暗闇では自然と目を瞑る

2015年7月25日のできごと。
ひとりで長野の善光寺へ日帰りの旅。


***

稽古後に下北沢の居酒屋にて日本酒を飲み、
泥酔に近い状態で新宿駅バス乗り場へ。
24時30分発の夜行バスで長野に向かう。
朝4時頃、東部湯の丸SAで休憩。外はまだ暗い。
明け方のサービスエリアは人気がなくて殺伐としている。
こういうときは高速道路に並んだナトリウム灯に妙な暖かみを感じる。

5時頃、長野駅着。
開いている店がなくしばし途方に暮れる。
善光寺までのんびり歩くことにする。
北野文芸座の前でコーヒーを飲みながら一休みしていると、ツバメの巣を発見。
巣の中で家族がざわついている。
散歩中のおじさんがそれを眺めて「こりゃまた」と呟いた。
ベンチにしばらく座っていると鳩に懐かれてしまい戸惑う。
観光地にいる鳩は体型がふくよかで態度が横柄だ。




善光寺に到着。お戒壇巡り。
戒壇巡りとは、本堂の地下にある真っ暗闇の回廊を歩き、
御本尊がしまわれた扉の錠前を探り当てることができると
娯楽浄土が約束されるというもの。

暗闇の中を手探りで歩くと、視覚以外の感覚機能が鋭くなる。
自然と目を瞑って歩いたのは、他の感覚に集中するためだったのかもしれない。
空調の音や埃っぽい匂いが印象的だった。
その感じは色に例えると薄紫色だと思った。

史料館の開館時刻前だったが気さくな職員が案内してくれた。
職員がスリッパを差し出しながら「どっから来たの」と言い、
私は思わず「横浜です」と答えた。
出身地を訊ねたわけじゃないから「東京です」と答えるのが正しかったと思いながら
奉納絵馬をぼんやり眺めた。




水子観音像に、お婆さんが熱心に水をかけ手を合わせていたのが印象的だった。
あまりにも上手に水を引っ掛けるので惚れ惚れした。
彼女はもしかしたら毎日拝みに来ているのかもしれない。
産まれなかった子供について、死ぬまで考え続けるのかもしれない。
水しぶきがきらきらして気持ちが良かった。

「すや亀」というお味噌屋さんで、
みそ味のソフトクリームを食していたらまたもや鳩が寄ってきて困惑。
仕方なくコーンの部分をちぎって与えると次々と鳩が群がり、慌てて退散したのだった。

15時発・飯山線越後川口行の電車を待つため、
長野駅構内でアルプス白ワインを立ち呑みする。
軽井沢のハーブソーセージと、善光寺浪漫という缶ビールを購入して乗車。




森宮野原駅にて下車。
グーグルマップが反応せず迷子になりかけるも地元の人に助けてもらい、
無事、上郷クローブ座に到着。
廃校になった中学校を改築した劇場で、建物自体が味わい深く郷愁に駆られた。
越後妻有トリエンナーレ参加作品、サンプル『ヘンゼルとグレーテル』観劇。




観劇後、再び長野駅へ。
バスの発車まで、お蕎麦屋さん「油や」で
戸隠おろし蕎麦と姥捨正宗という日本酒を。
この旅は最初から最後まで、ほぼ酔っ払っていたのだった。

***

2015年9月11日金曜日

ラリりについて

 あれ?せっかく体調戻ったのに、眠れなくてまたこんな薄闇。光がチラついて目がおかしくなったかと思ったらカミナリだった。
「ラリれば全てを浄化することができる。完全無欠のラリりには、記憶が欠如しているからだ。」
と書かれたメモを発見。意味がわからない。記憶がないのでラリっていたのだろう。モメラス稽古ノート。

2015年9月1日火曜日

うなされた夢の話

久々にうなされた夢の話。

暗い日本映画を観た。
エンドロールは明け方の高速道路。

映画館のロビーに出ると、
隅の方にいる女の手首が血まみれ。
俯いている。

陰鬱な気分。
私はどこか遠くへ行きたくて、旅支度しようと考えている。

でもその女はよくよく見ると私自身だった。
あ、どこへも行けないんだったそういえば、とそのとき気付く。
女の視線を振りほどきながら、
あんな映画観るんじゃなかったと思う。

2015年7月12日日曜日

2015年7月11日土曜日

文章

文章は、文字に起こしたときと声に出したときで
だいぶ印象が変わるから厄介だ。

2015年7月9日木曜日

スイート・チャリティー

ボブ・フォッシー『スイート・チャリティー』鑑賞。
原作はフェリーニの『カビリアの夜』。

ヒロインが最後まで徹底的に不幸なのがいい。
男に騙されても振られてもくじけない。
異様に立ち直りが早い。

歌って踊って笑い飛ばすために、
この作品のヒロインはどこまでも地獄に突き落とされる。

2015年7月7日火曜日

七夕。プラネタリウム。

七夕だったのでプラネタリウムに行く。
浴衣姿の女の子がたくさんいた。

織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)の間には、実際約15光年の距離があって
宇宙最高速度(秒速30万km)で向かっても会うのに15年かかるのらしい。
両方から会いに行ったとしても7.5年。
途方もない。


なんでだか、明け方の空がすごく好き。
薄闇。
プラネタリウム、たまに行きたい。

2015年7月5日日曜日

手首に骨がない

映画『17歳のカルテ』で主人公のスザンナが、
手首に骨がないような気がすると訴えるシーンがある。
面白い症状だと思う。
離人感みたいなものだろうか。
自分の手が自分の物でないような感覚に陥って、
数分まじまじと自分の手を眺めて気持ち悪くなったことならあるんだけど、
それと似てる気もする。


失ったはずの四肢が依然そこに存在するかのように感じることを幻肢というらしい。
手首に骨がないという感覚はその逆で、存在するのにない気がしている。
現実とズレて認識してしまう現象、おもしろいなあ。

2015年7月4日土曜日

仮チラシを作る

出演者の井神沙恵から連絡。
もうすぐ舞台の本番があるらしく、
「松村さん、モメラスの仮チラとかないんですか?折り込みますよ」と。
考えてなかったこれっぽっちも。
慌てて作成してデータを投げた。
モメラスの制作さん、欲しい、超。切実に。

そろそろちゃんと劇団化することを考えたい。
まずは俳優メンバーを募らないといけない。
継続して付き合っていける俳優を何よりも大事にしたい。
でもそれってちゃんとした契約とかの段取りを踏むわけじゃないから、
結局、口約束で終わっちゃうんではないか、と懸念。

写真は、マックでコーラ飲みながら作った、仮チラシ。


2015年7月1日水曜日

ミュージカルってなんだ

美しい女優さん踊り子さん達と、ミュージカルを作ることになった。
私は脚本・歌詞・演出を担当。
何事だこれは。
クラクラするな。

今年10/13,14 東京キネマ倶楽部にて。
でっかいんだよ、元グランドキャバレー。
キャパ300人。

タイトルは『オール・アバウト・ミリンダ』にした。
キャバレーの話か、女優の話になりそう。
ド派手にぶっ飛んでみせます。
ちなみに私も出演しますが、歌いも踊りもしません。
今からボブ・フォッシー勉強します。

2015年6月24日水曜日

心臓バクバク

今日は、8月に出演する舞台の顔合わせと本読み。
心臓バクバクだったが俳優さん達の面白すぎる演技に爆笑していたら
いつの間にかリラックスしていた。
頑張ろう。

切実プロデュース
『ふじきみつ彦・山内ケンジ 傑作短篇集』
8/25〜30@下北沢・B1
演出:岡部たかし
脚本:ふじきみつ彦、山内ケンジ
出演:岩谷健司、本村壮平、島田桃依、松村翔子、田島ゆみか、岡部たかし

2015年6月22日月曜日

出演者決定『薄闇、そこは散漫もしくは出口』

モメラス秋の短編『薄闇、そこは散漫もしくは出口』の出演者が決まった。

山縣太一/曽田明宏/井神沙恵/竹之下桃/黒川武彦

この5人の俳優さんたちと作ります。
真夜中が似合う人たちを集めたつもりです。
意外と朴訥とした雰囲気かもしれない。
今回の稽古場は静かそうです。

本番が近付いてきたら、また俳優紹介書きます。

2015年6月18日木曜日

部屋が汚すぎてこわい

クレジットカードの再配達を時間指定で頼んだため、
夕方以降は珍しく自宅で大人しく過ごした。

しかし配達がなかなか来ず、暇だったので掃除。
気付かなかったけど部屋中埃まみれで我ながらドン引き。
冷蔵庫の中は消費期限切れまくりの食品で溢れ返っていた。こわい。
片付いてない部屋は居心地が悪いうえに、なんか虫が湧いてそうでこわい。

2015年6月17日水曜日

舞台美術ワークショップ

無隣館 舞台美術ワークショップ。六尺堂にて。
実際に舞台装置を組んだの、楽しかったな。

そして杉山至さんの話は相変わらず面白い。
白い紙1枚で「中心を探す」というエクササイズが印象的だった。
私が行き着いたのは「空洞」だった。
モメラスの新作のネタになりそう。
至さんがロラン・バルトの話をしていて、はっとなる。
読まなきゃ。

2015年6月16日火曜日

テレクラキャノンボール

友人と渋谷でランチした後、武蔵小山で飲む。三軒ハシゴ。
内臓が限界。

『テレクラキャノンボール』で
セックスの最中にビンタして!って懇願する女性出てきたけど、
あれめっちゃグッと来た、という話で盛り上がる。

2015年6月15日月曜日

創作チーム発表

無隣館、創作チーム発表。
評価はあまりいい方ではなかったし、
ちょっと作品がガタついた感じはあったけれども、
それも含め真面目な人たちが集まったいいチームだった。
90分くらいのフルバージョンで上演したら、もっと面白いものになる気がした。
夢はでっかくな。

打ち上げでオリザさんと少しお喋りしてドキドキした。

2015年6月14日日曜日

『犬人間 能生』

『海底で履く靴には紐が無い』公演終了しました。
ご来場いただいたお客様、関係者の皆様、
応援してくださった方々、どうもありがとうございました。
次回公演は来年だそうです。
タイトルは『犬人間 能生』という噂。
太一、大谷さん好き過ぎるだろ。

バラシ後、そそくさと退散。
差し入れのお菓子や酒瓶を持って、創作チームの稽古へ向かう。
そうだよヘトヘトだよ。
私、演劇好き過ぎるだろ。

2015年6月9日火曜日

何とも言えない

『海底で履く靴には紐が無い』アフタートークゲストは岡田利規氏。

山縣太一が何を思ってこの作品製作に取り組んできたのか、
他の誰でもない岡田さんに伝わって欲しかったんだった、そういえば。

今はあまり気持ちが整理できない。
悲しいけど清々しい気分。

2015年6月8日月曜日

休演日

『海底で履く靴には紐が無い』休演日。
大谷能生氏を全力でアシストしつつも、
口元のゆるいズビズビの演技に磨きがかかってしまい、
シャツがどんどんヨダレまみれになる現象が起きている。
欲望丸出しで、残りのステージも乗り切りたい。

休演日だというのに、無隣館の創作チーム稽古。
自分の疲労にいかに気付かないかが大事だ。
そういう意識の持っていき方に全力注いでるの今。

2015年6月6日土曜日

忙しい自慢します。

午前中、無隣館の創作発表チームで、オリザさんに通し見せ。
改善点をいくつかアドバイスもらい稽古。
その後『海底で履く靴には紐が無い』本番。
終演後、慌てて横浜から池袋に移動。
芸劇にて城山羊の会『仲直りするために果物を』観劇。
どうだ演劇好きすぎるだろ私。

山内ケンジさんが岸田戯曲賞受賞後初の新作ということもあり、お客さんの熱気がすごい。
そんなお客さん浮き浮きムードの中、
前半に散々観客の笑いをかっさらったあと、あるシーンから完全に客席を静まり返らせていた。
それが最高にスリリングで、疲労が吹っ飛んだ。
今いったい何を見せられているのか?という困惑した状態。
あんなにゲラゲラ笑えていたのに。
観客の突き放し方、本当にかっこいい。

2015年6月5日金曜日

休肝日がない

『海底で履く靴には紐が無い』本番3日目だった。

今日のアフタートークゲストは、岡崎藝術座の神里雄大氏でした。
山縣太一と大谷能生に挟まれて写真を撮ったら、神ちゃんはなぜか苦笑いであった。

せっかく飲みに行かずに帰ってきたのに、
部屋で無意識に缶ビール開けようとしていて一人でハッとなった。
こんなんだから年中むくんでいるんだ。
くそ。
寝る。


2015年6月2日火曜日

大谷能生氏の俳優デビュー

『海底で履く靴には紐が無い』初日が開けました。
大谷能生氏、俳優デビュー。
凄まじい威力のパフォーマンスでした。
大谷さん汗かきまくり。

私はというと、アフタートークでゲストの菊地成孔さんに褒められて、浮かれております。

2015年6月1日月曜日

明日から『海底で履く靴には紐が無い』

明日は本番初日。
STスポットで公演をやるのはチェルフィッチュの『わたしたちは無傷な別人である』ぶり。
この劇場に来ると実家に帰ってきた気分になるな。

今回の作品が観客にどう受け取られるのかうまく予想できない。
大きなブレが起きやすい作品のような気もする。
本番が楽しみ。

2015年5月29日金曜日

ロミジュリと恋愛資本主義。ボードリヤール。

一番目の現代版ロミオとジュリエットの脚本は、
新宿伊勢丹のデパ地下を舞台に、
スイーツ好きなOLがショートケーキの苺との恋愛を妄想する、
恋愛資本主義をテーマにした物語となった。

最初は、不倫、教師と生徒、近親愛、同性愛など、
障害のある恋愛をいろいろ考えたのだけど、
そういう重たい人間模様を10分くらいの作品に納められる自信がなく、
リアルな社会構造を放棄した脱社会的な設定を選択することにした。
というのはまあ後付けで、「女子と苺」という少女漫画みたいなアイデアが
ロミオ役の男性から提示されたのが地味におかしくて使わせてもらったのだった。

「恋愛」とか「純愛」とかいうワードに何となく胡散臭さを感じている。
一時流行った「純愛ブーム」にはまるでついていけなかったし、
どちらかというと、メディアや電通によって恋愛が商品化していく
純愛ブームの現象そのものに心を奪われた。
結果、恋愛資本主義をテーマにすることになった。

***

女「私は商品を眺めて眺めて、眺めまくる。なんていうんですか、こう、
まるで宝石みたいに並べられたスイーツ達に、私の胸は高鳴るわけです。」

***

作品を書くうえで、
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』にあるこの文章をよく参考にした。
「今日では純粋に消費されるモノ、
つまり一定の目的のためだけに購入され利用されるモノはひとつもない。
あなたの周りにあるモノは何かの役に立つというよりも
まずあなたに奉仕するために生まれたのだ。」

殺伐としていてなんだかイビツなロミオとジュリエットになってしまった。

あ、でも、そうそう、女子と苺という設定は、
「あなたを食べたい」「あなたに食べられたい」のやり取りになって、
思いのほか官能的であった。
プラス俳優の演技により大変生々しい作品になった。

***

苺「彼女は僕を小さな口の中に押し込めて、幸せそうに頬張りました。僕は咀嚼され、飲み込まれ、胃液に溶け、彼女の一部となりました。」

***

課題から多少ずれてしまった内容だったので酷評ではあったけど、
いつか長編にして上演したいほど、お気に入りの作品となった。

2015年5月28日木曜日

圧倒的自己肯定力よ

稽古ばかりしている。
稽古がない日はソワソワしてうまく休めない。
何だこれは稽古中毒か。

後先考えずに行動するようにしている。
最近はわりと無謀な挑戦ばかりしていて、なんかもうぜえぜえ言ってる。
打ちのめされることもあるけど意外とすぐ復活するから、たぶんまだ進める。

自己嫌悪とか劣等感とかいい加減ジャマなので、
全力で自分のことを棚に上げ、圧倒的自己肯定力を身に付けたい。

2015年5月26日火曜日

カジュアルセックス

出会った男と手当たり次第セックスしまくる女の話やりたい。

映画「キャンディ」を思い出している。
変な映画だったなあ。
マーロン・ブランドとかリンゴ・スターとか出てて無駄に豪華で痛快だった。

性的放縦に生きるというスタンスがいまいち、
肯定できるようなできないような、煮え切らない気持ち。
生き生きと生きるとはどういった生活態度のことをいうのか。
貞操ってなんなのか。

セックスの描写をどう演出しようかとか全然ノープランだから、
怖じ気づくかもしれない。

2015年5月24日日曜日

福岡演劇フェスティバル・創作コンペ

創作コンペティションは無冠に終わったが、
審査員として参加していた岡田さんは絶賛してくれた。
久々の再会だった。
嬉しかった。
うまく言い表せない。
とにかく長かった。
こういう風になるまでの時間は。

2015年5月15日金曜日

ロミジュリ酷評。2本目へ。

ロミジュリはわりと酷評。
あれー、すっごい気に入った作品に仕上がったんだけどな。
課題と内容がずれていたのが駄目だったみたい。
そりゃそうか。

そしてまさかの、もう一本ロミジュリを担当することに。
リベンジ。
今度は全然違う攻め方で臨む。

2015年5月6日水曜日

大量の台本。

4作品同時進行で稽古している。
何事だこれは。
どんだけ演劇好きなんだ私。

ファイルには、大北栄人さんのコントと、
シェイクスピア「ロミオとジュリエット」、三島由紀夫「葵上」
の台本が入っている。
バラエティに富んでいて、なかなかに味わい深い。

2015年5月3日日曜日

「あたくしは康子っていう名よ」

寝不足で朦朧としつつも、
三島由紀夫『葵上』六条康子の長ったらしい台詞を覚えねばならず、
狭いワンルームでぶつぶつと、
「人殺しは、暗がりの中では殺した女に親しみを感じるはずだわ」
とか物騒なことをニヤニヤしながら呟いている。

2015年5月2日土曜日

公開稽古『海底で履く靴には紐が無い』

STスポットにて公開稽古。
さて、この作品のリハにほとんど参加できていない私は、
観客を前に何をしたらいいのかさっぱり、という恐ろしい状況になりつつも、
あ、見られてるとどう舞台に立っていればいいか明確になっていいなあ、とか
意外と悠長なことを考えながら過ごしたのだった。


2015年5月1日金曜日

ロミオとジュリエット

シェイクスピア『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーのシーンをもとに、
現代の許されない恋愛をテーマに台本を書いている。無隣館の課題。

歯の浮くような、幼い男女の愛の語らいに、こっから作品をどう立ち上げたらいいんだと
悪戦苦闘した結果、だいぶ遠い所へ来てしまった感。

ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』の一節を引用しようとしてるけど、
ボツにする可能性大。

2015年4月30日木曜日

15歳のときの文章。

15歳くらいのときに書いた文章を見つけた。

「体が浮かぶ感覚。もう何もいらないと思った瞬間、
私も、私の身の回りのすべても、色を失くして薄らいでいく。」

どうした。大丈夫か。
たぶん酔っ払ってたんだと思う。

この文章、今回使わせてもらおう。
ありがとう、15歳の自分。

2015年4月29日水曜日

もはや写経なんだこれは。

最近は、気になった文章をノートに書き写すのにはまっている。
書くときは必ず青いボールペンを使う。
黒よりも落ち着く。
気になれば、どんなことでも書き留める。
小説、新聞、雑誌、Twitter、
詩、短歌、歌詞、
家電の取扱説明書、旅行パンフレット、求人広告、
聞こえてくる会話、ふとよぎる思考。
大事なニュースの記事のこともあるし、
あまりにしょうもない下ネタの一言のこともある。
それが何の役に立つかは、あまり考えない。
作品のネタになるかどうかという下心は、出来るだけ持ちたくない。

いろいろ書き写していると「ただ文字書いてるだけだわ今」ていうときもある。
そういうときは「これは写経だ」と思うようにしている。

2015年4月28日火曜日

ブログ再開。『薄闇、そこは散漫もしくは出口』。

今年10月3,4日にモメラス短編作品を上演することになりました。
早いけど、脚本をもう書き始めているので、ブログを再開することにしました。

たぶん『薄闇、そこは散漫もしくは出口』というタイトルになります。
転落死する女の話と、それを取り囲む世界の話。
消失点の存在意義について。
ナイーブでいることが何よりも罪なら、枯れるまで声高に主張しなければいけない。
必要なのは強度であって、それさえあれば何でもいい。
野蛮でなければ生き残れないし、正義も悪も特に問わない。
ネガティブを一周半して超ポジティブ、みたいな作品になるといい。

出来るだけ、毎日更新しようと思う。
誰かが読んでくれたら嬉しい。めっちゃ嬉しい。